3月末日の閉店まで、カウントダウンが始まっています。
Niseko343、30年の歴史、3日目はモーグルの草大会「スーパーバンプス」を振り返ります。
スキーブームが続く中、4月ともなると札幌近郊のスキー場がクローズし、雪の多いニセコへコブ好きが多く集まるようになりました。その光景を見ていて、モーグル大会を開催したら面白いのでは?と、山崎修と相談しました。
近隣のペンションオーナーたちの協力も得て実行委員会を組織し、ニセコならでの大会にしようと「スーパーバンプスニセコカップ」と名付けたモーグル大会の開催にこぎ着けました。
第1回大会は1991年4月開催。優勝は男子が伊藤篤、女子は里谷多英さんでした。
第2回大会からはテレビ放映もされるようになり、多くのオリンピアンが出場してくれました。参加申し込みが最大で300人以上にものぼり、大会規模と運営の都合からお断りしなくてはならないこともありました。モーグルの注目度の高まりと相まってスーパーバンプスは人気大会に成長し、予選と決勝の2日開催をした時期もありました。さらにはモーグルシリーズとして2週に渡り開催したこともありました。当時の草大会としては異例のことです。
このようにモーグルブームが高まっていく中、大会開催を通じて参加者たちから聞こえてきたのは、
「モーグルに関する情報が入らない」
「人気のウエアや用具を販売しているショップが少ない」
といった声でした。
その声に応えたいとの思いが、ショップ経営に踏み切るきっかけとなりました。
1993年10月、ロッジロンドの一画を改装する形で「Niseko343」をオープン。
ショップ名は、ロンドの前を走る道道343号線から取りました。シンプルな命名ではありますが、「ニセコひらふの麓の343号線沿いには、いいスキーショップがあるよ」という覚えやすいメッセージになればとの思いもありました。
利益目的の起業ではなかったので、リスクを抑えての小さなショップでしたが、〝フリースタイル系〟という珍しいコンセプトもあり、それなりに注目もされました。
冬が始まればロッジとショップの経営と並行して大会準備に奔走し、春先のスーパーバンプスでシーズンを締めくくる……というシーズンが何年も続きました。
大会はスキー場、選手、スタッフ、協賛メーカーなどのどれが欠けても成立しませんが、当時はそれらが上手く機能していたのだと思います。株)K2ジャパンなどは当時、ゲストに海外の有名スキーヤーを登場させてくれ、大会に華を添えてくれました。参加者をさらに盛り上げようと、前夜祭を開催したこともありました。
大変ではありましたが、やりがいのあるイベントでもありました。
大会は、第11回以降に若いペンションオーナーに実行委員長を一度引き継いでもらい、第20回以降は伊藤篤が、実行委員長として、2021年の第30回を節目に幕を閉じました。
そのDNAが残っているためなのか、昨シーズンは、爺がかつて発起人となり組織した地元モーグルチーム「Niseko B&J」の父兄が中心となって「1st Niseko Dual Mogul Cup」が開催されました。この4月第1日曜日には第2回大会が開かれます。
ニセコのモーグル熱はコーチ、子供たちにしっかりと引き継がれており、嬉しいことです。
モーグル大会を主催し、チームを組織して良かったと思っています。
過去の古い写真、DVDが残っています。時間が必要になりますが、後日に整理して公開したい夢もあります。当時の青春時代を思い起こし、郷愁に少ししたるのも良いかと考えています。