Niseko343

●アーカイブズ4 [Niseko343編]  2023年3月30日

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3月末日の閉店まで、残すところ1日となりました。

Niseko343、30年の歴史、4日目の最終回はショップのエピソードを。

なまじ30年という歴史があるだけに、やっと本題の記憶と記録です。

ショップ開業のきっかけは以前にブログ上でお伝えしたこともありますが、ニセコにふさわしいインポート中心のセレクト商品の販売と、モーグル選手たちの応援です。最初は10坪ほどの小さなショップでした。

爺はショップをオープンさせた後に、現在は「Niseko B&J」と呼ばれているチームを組織しました。最初は「Niseko Bumping & Jumping」という長い名前だったのですが、世代が変わると名前も変わりました。

当時は大会に出場したくてもエントリー方法が分からない、所属がないなどの選手も多く、Niseko B&Jを連盟登録して選手育成に努めようと考えたのです。

モーグル競技を目指す地元の子供たちを中心に選手登録してくれて、すぐに各種大会で活躍しました。途中から伊藤篤らが中心となって組織が継続され、オリンピアンとなった中元勝也、住吉輝紗良もNiseko B&Jの出身です。

その後、一昨シーズンからは岡田将人さん(ニセコ町消防署職員)が代表となって選手育成に取り組んで、ジュニア育成や新たに大会を開催するなど盛り上がっています。今ではナショナルチーム候補のジュニア選手も所属しています。

さて、21世紀に入るとインバウンドでニセコが注目されるようになりました。日本国内ではスキーブームが下火になってきていたにもかかわらず、パウダースノーに魅せられて来訪者数は順調に増え続けました。

Niseko343では、ニーズを見越してニセコでいち早くパウダー用スキーのレンタルを始めたところ、これが大人気となりました。海外からの来店客にも、良いものを販売していると何度もお褒めの言葉をもらいました。

ただ、そんなに上手いことは長続きしません。

一人勝ちでおいしい思いをしていると思われたのか? インバウンドの旅行業者や、外資のレンタル業者などによる競合店が、周辺に相次ぎ出店しました。

それまでオンリーワンで営業してきた爺のような店舗には厳しい環境になると推測し、ナショナルチームのコーチも務めた伊藤篤を店長として、今後への対策強化もしました。

しかし、後に婆の難病をきっかけに事業縮小を決心しロッジを売却したことで、最終的には店舗を、現在の場所に移転する決断に至りました。

     路地裏の店舗では営業継続も難しくなるほど業績は悪化し、立地選定の難しさと、人的なネットワークの乏しさを痛感しました。結果、スキー場への来場者は増えているのに売上が半減し、伊藤篤が退社することになりました。

趣味の延長で始めたような店舗でしたが、継続できる限りは続けようと思っていました。

そして、一シーズンごとに「路地裏のショップ」として認知されるようになり、売上は少しずつ回復していきました。ただ、そうした中で巻き起こった新型コロナウイルスの感染拡大は事業にとってもまさに大厄災で、行動自粛や渡航制限による客足の激減は経営をさらに圧迫しました。

ただ、このまま終わってたまるか。そんな意地がもたげたのも事実です。

この世相に押し潰されて、まるで火が消えるように店舗を閉じるのは、あまりに悔しい。

コロナはいつか沈静化し、客足も必ず戻る。そう信じてここ2年間をしのぎました。

ありがたいことに伊藤慎が季節スタッフとして、昨シーズンまで10年以上も手伝ってくれ、Niseko B&J出身で元ナショナルチームの香川満亮や、彼と同じ留寿都出身の白井守は農家の経営者達ですが、今シーズンも中心となって働いてくれました。

今季は売上もコロナ禍前以上まで戻り、意地を貫きながらも実は不安もあったこの胸をようやく撫で下ろしつつ、気持ち良く最後のシーズンを終えることができます。

Niseko343は2023年3月31日で閉店となりますが、同じような形態、サービス提供ができる店舗は、ニセコにあっても良いと今でも思っています。